劣等感の正体と解消方法

最近いろいろ考えていて、あらためて思考整理もしたくて、ブログを書いた。

劣等感との戦い

生きていると、多くの人は他人と自分を比べ、劣等感を感じたことはあるんじゃないんだろうか?
自分もその一人で、いまだに劣等感を感じることはある。
約30年生きてきて、まだその檻から完全脱出できていない。
でも、少しずつ思考を変える努力をしている。

小さいころ、算数の時間で掛け算を授業でやったが、「2x3=6」という式を理解できなかった。
なぜ2x3が6になるのか、周りはすぐに分かったのに、自分は結局の最後まで分からなかった。

そう、勉強ができなかった。
このときの記憶が強烈に残っている。
あんまりにも勉強ができなさすぎて、小学生のころに自分は生きる価値がないと感じ、死にたいと思っていた。
今にして思えば、小学生で死にたいと思うのは中々だけど。

劣等感を感じやすい人は、基本的に繊細な人が多い印象を持っている。
繊細な人ほど、人との違いに気付きやすく、真面目で傷つきやすいと感じている。
これが、心が弱いととらえられることもある。
正直、とっても生きにくい。
小学の時、親父に「おまえは心が弱い」といわれたのは鮮明に記憶に残っている。
心が弱いということは自分もわかっていたから。

しかし、
弱いのは本当に悪い事だろうか?
勉強できないのは駄目なんだろうか?
この年になってそう思うようになった。

劣等感の正体

劣等感の正体はただの妄想だった。
そう、劣等感は自分が勝手に作り出した妄想であって、現実には存在しない。
「掛け算すらまともにできない、駄目なやつだ」と思っている自分の妄想である。
「心が弱いのは駄目なことだ」と思っている自分の妄想である。
たしかに、それらは事実だった。しかしそれ以上でもそれ以下でもない。
その事実をどうとらえるか次第。

劣等感は妄想である。
これは紛れもなく真実である。

劣等感との向きあい方

今の現実を選んでいるのは自分である

劣等感を感じたまま生きることは、とってもつらいことだし、しんどい。
そんな、ありもしない妄想に人生が振り回されるのは、不幸なことだ。

では、どうすればよいのか?
まずは自分が今の現実を選んでいると自覚すること。

  • 劣等感に苛まれる
  • できないことをできる様にしていく
  • 諦める
  • あるいは、苛まれながら頑張るか
  • あるいは…

そう、つまり自分が何を選択するか次第。

劣等感と戦う必要はない

劣等感は妄想。存在しないものと戦っても意味がない。
つまり、それに目を向ける必要はない、ということ。
それよりも、問題をどう解決していくか、ということに目を向けることが大事。

勉強が苦手なら、得意な人に勉強を教えてもらえればよい。
スポーツが苦手なら、得意な人に教えてもらえればよい。
時間をかけてできることは、時間をかければよい。
頑張った結果、向いていないことがわかったなら、ほかにやりたいこを見付てやればよい。

こん感じで、違うことに目を向ければよい。

最後に

これまで生きてきて、思考の癖は簡単には変えられない。
しかし、頑張って変えていく価値は十分ある。

  • 今の現実を選んでいるのは自分
  • 劣等感と戦わない

こうすれば、少し生きるのが楽になる。